検査当日、いきなりハプニング

いよいよ検査当日。

前日の夜9時以降、何も食べる事が出来ませんでした。当然この日の朝も食べる事が出来ません。許されていたのは少量の水だけでした。

病院に着くと、私は外科の前の少し離れた待合室の椅子に腰掛け、主治医を待ちました。

しばらくすると、主治医が看護師さんを連れてやって来ました。

『これからレントゲン検査を始めます。』

私はレントゲンの台に乗り、横になりました。

《まな板の鯉》とでも言うのでしょうか、この時が一番緊張します。

まず、検査をするために造影剤の注射をするはずなのですが、誰も来ません。

しばらく待っていると主治医が私のところに来ました。

『笹野さん、本当に申し訳ないのですが、レントゲンの調子があまり良くないので、検査はまた別の日にしましょう。』

『エッ?!別の日ですか?』

いきなりのハプニングに思わず聞き返してしまったものの、仕方がなくレントゲンの台から降りました。

まさか、レントゲンの調子が悪くて検査が延びるなんてハプニングがあるのか?

そんな事を思っていると看護師さんが言いました。

『先生、2階に人間ドック専用のレントゲンがありますよね。それを借りたらどうでしょうか。』

そう言うと看護師さんは2階の人間ドックへ聞きに行ってくれました。

『先生、今なら使用しても良いと言ってくれました。』

それを聞いた主治医は2階でレントゲンを撮ることにし、私達は2階へ移動しました。

『結論から言うと胆管は正常に戻っています。』

人間ドックのフロアは同じ病院とは思えないくらい、風景が違っていました。

ゆったりとした広い空間で、ホテルのような雰囲気でした。

早速レントゲン室に入り、検査が始まりました。

主治医は別室のモニター画面を見に行きました。

『ウワッ!』

モニター室に入った主治医の大きな声に私は驚きました。

主治医は看護師さんとモニターを見ながら何かを話しています。

私は何が起こったのかわからず、二人の様子を見て頭の中が大混乱していました。

少しすると主治医が来ました。

『笹野さん、驚いたことに胆管が正常に戻っています。こちらに入ってモニターを見ますか?』


モニターには様々な血管などが白く映し出されていました。

私がモニターを見ていると、主治医がこう説明をしてくれました。

『これが、笹野さんの胆管です。今までは、ガンの腫瘍によって塞がれていた胆管は分かりますか?それがここです。今は太くなって、胆汁が流れています。』

それは何度か見たことのある映像でした。

今まで私の胆管は、ガンの腫瘍のところで細くなって消えていました。

それが今、胆管も胆汁もハッキリと見えていました!

『笹野さん、結論から言うと、胆管は正常に戻っています。』

『それにしても不思議だ。』そう看護師さんへも声をかけていました。

私は主治医が大きな声を出した意味がようやく分かりました。


『先生!胆汁が流れているということは、このチューブは抜けるのですか?』

『抜けると思いますよ。』主治医も少し興奮気味でした。

『良かったですね!』看護師さんも喜んでくれました。

『このチューブが取れるのだったら、一日も早く取ってもらいたいのですが。』

『そうですね。チューブを取るにはまず、入院をしてもらってCTを撮り、その結果で判断しましょう。』

私はその足で入院手続きを済ませました。

妻も喜んでくれました。

その後の事はほとんど記憶がありません。肝臓がん末期の告知を受けた時と同じ、空白の時間になっています。

覚えているのは、携帯電話で妻と話しをしたことだけ。

『エッ!ウソ?!本当に良かったね!』その後妻は電話先で言葉に詰まっていました。

妻にしてみればいろいろな出来事が思い出されたのだと思います。

私も妻への感謝の気持ちが込み上げて来て、何も話せなくなってしまいました。

電話を終えると、いつもの自販機でコーヒーを買い、私の特等席でタバコに火を付けました。

病院で唯一落ち着ける場所で一服、物思いにふける

病院での休憩所
私の《特等席》、病院に来ると唯一落ちつける場所がここでした。

私はこの場所に数え切れないほど座り、ガンと闘う意志を持つ事もあれば、これ以上無理なのかと挫折感に打ちひしがれる事もありました。

そしていつも、この場所から外を眺めていました。

同じ風景でも、自分の気持ちによって、その見え方も違っていました。

私にとってこの1年半の闘病生活は、出口の見えないトンネルの中を、必死にもがき苦しみながら歩いてきたようなものかも知れない。

その暗く長かったトンネルの中に、やっと小さな光が見えて来ました。

その小さな光の向こうから、私を支えて続けてくれた家族や友人の姿が見えるような気がしました。

本当にありがたいと、心の底から感謝の気持ちが湧き出ていました。

子ども達も喜んでくれました。

家に戻ると、遊びに来ていた子ども達に、妻が私の結果を報告していました。

『お父さん、お母さんから話しを聞いたよ!本当に良かったね!』

子ども達にも、ずいぶん心配をかけてしまいました。

入院の直前、チューブを取る前に、妻に頼んで1枚だけ写真を撮ってもらうことにしました。

その時の写真が左側の写真です。
胆汁を体外に出すためのチューブ

この時の私の体重は60キロ。病気になる前よりもずっと太っていました。

「これでやっとチューブを外す事が出来る。この日が来るのを、どれほど待ち望んでいた事か・・・。本当の意味で自由の身になれるのだ!」と思うと、心の底から喜びが湧いてきて止まりませんでした。

やっと光が見えてきた!


⇒次ページ 76:胆汁のチューブが要らなくなる
闘病記年表に戻る