その翌日は、私の血液検査の結果が出る日でした。

しかし私は検査結果に対する不安はほとんどありませんでした。

『いろいろあったけど、その度に頑張って乗り越えて来たんだから、きっと良い結果が出るよ。』

妻もそう言って励ましてくれました。

時は、あと数日で3月になろうとしていました。

3月という月は、私にとって特別な月。

中でも3月3日の「ひな祭り」は、普通ならおめでたい日ですが、私にとっては最悪の日となってしまいました。

それは、私が初めて入院した日であり、ガンの告知を受けた日でもあるからです。

その後3月19日には、妻に余命3ヶ月以内との宣告がされました。

絶望の中の3月30日は、友人の伊藤さんが探してくれた、2種類の健康補助食品の飲み始めた日となりました。


そしていよいよ検査結果の日。

病院へ着いて中に入ると、いつものように患者さんでいっぱいでした。

私の順番が来て診察室に入ると、パソコン画面に私の血液検査の結果が映し出されていました。

検査項目 数値
GOT 32
GPT 29
ALP 328
γ-GPT 65 (H)
ALB 4.3
T-BIL 0.6
BUN 6.9(L)
CRE 0.7
CRP 0.1
WBC 7160
AFP 1.5

『腫瘍マーカーの数値は【1.5】です。肝臓ガンの方は、血液検査の数値を見る限り、心配無さそうですね。』と言いながら主治医は首を傾げるしぐさをしました。

『前のデータを見ると、笹野さんの腫瘍マーカーの数値は非常に高かったですからね。』

そう言いながら過去のデータをプリントアウトしてくれました。

2年前、黄疸が酷くなって調べてもらった時の腫瘍マーカー(AFP)の数値は、【6,180】でした。

『先生、腫瘍マーカーの基準値はどのくらいなのですか。』

『基準値は【10以下】ですよ。』

『笹野さんのような方の例は、医学会においても例が無いと思いますよ。』

主治医はまた、首を傾げながら不思議そうに言いました。

『先生、長い間、本当にいろいろとお世話になり、ありがとうございました。』

『僕も、笹野さんのように元気になられた患者さんの姿を見ると、本当に嬉しく思います。僕たちは日々一生懸命頑張って治療をしているつもりなのですが、報われない方が多いですかね。』

先生は真剣な顔でこう話しました。

この言葉には私もすぐ納得出来ました。

長い闘病生活において、私もがん患者さんの死を多く見てきたからなのです。

ガンを克服した私にだからこそ言えた、主治医の本音だと思いました。
『今後はどうしますか。』

『これからも3ヶ月に1度のペースで血液検査を受けて、様子を見て行きたいのですが。』

そう言うと主治医も了承してくれました。


診察室を出ると早速、私は家で結果を待っている妻に電話を入れました。

『腫瘍マーカーの数値は、基準値だったよ。そしてガンも心配ないと主治医が言った。』

『エッ?!ほんとう!私もこれで安心したよ。子ども達にもこの事知らせるから電話切るね!』

私達家族は、この日が来るのをずっと待っていました。

妻は嬉しくて少しでも早く子ども達にも知らせたかったのだろうと思います。

『医学会に例が無い』

私なりに言い換えれば、不治の病と言われる末期ガンに対して、西洋医学を学び、現在の医療現場で数多くの治療経験を重ねて来たけれども、末期ガンを克服した患者には出会った事が無いということなのだろうか。

もしそうであるならば、現在の医療の世界では考えられない、とてつもないことを私は成し遂げてしまったのかもしれないと思いました。


しかし、今生きていられるのも、兄が身をもって私に教えてくれたからだと思います。

胃ガンの末期での兄の死がきっかけになり、ガンについていろいろ学ぶようになり、いろいろな物を探し始めたのだから。

この広い世の中には、自分の身体に合った良い物が必ずある!と私は信じて来ました。

そして、それを探し続けてきた事が今、実を結び、不治の病と言われている末期ガンを克服させたのだと、私は考えました。




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