大学病院での診察を終え、私は家に帰るわけではなく、当時入院していた病院へ戻りました。

帰り道、今度は妻がひとりでもこの大学病院に来れるようにと車の中で道順の説明をしました。と言うか、他の会話はお互い避けているような感じでした。

大学病院での診察の事、肝臓移植の事などお互い一言も口にはしませんでした。口には出さないまでも、頭の中では肝臓移植の事について様々な思いや不安がお互い駆け巡っていたと思います。

病院へ到着し妻と別れ、私はまた一人肝臓移植について考えていました。

やはり肝臓移植は受け入れられない

私は病人特有の『思考力低下』に陥りながらも、ひとりで肝臓移植について考えていました。

仮に肝臓移植の手術を受けたとします。

私が手術室へ入るのと同時にドナーの妻が別の手術室へ入ります。

その後、肝臓移植手術が成功したとしても私は数ヶ月無菌室の生活です。肝臓を提供してくれたドナーの妻も約1ヶ月間が入院だそうです。

更には、全てが成功し、私自身、通常の生活に戻れたとしても一生涯、10数種類の薬を飲み続けなければならないとの事でした。死ぬまでと言う事です。

しかも当時先生から聞いた肝臓移植の成功率は『40%』

費用や成功率、その後の事も考えて、やはり私には肝臓移植は受け入れる事が出来ない手術だと思いました。

私が出来る事→友人知人に電話をかけまくる

『やはり肝臓移植は受け入れる事が出来ない。大学病院へ入院するまで約2週間ある。この2週間で何かできる事はないだろうか。このまま時が過ぎるのを待っていれば良いのだろうか。』

これと言った【得策】も思い浮かびはしませんでしたが、私はワラにもすがる思いで手当たり次第に友人、知人に電話をかけ始めました。

なんだか分からないが、『何か』を見つけたいために。

  • 自分が肝臓がんになってしまった事
  • 当時飲んでいたサプリメントはいまいち自分に合っていないようだという事
  • 何か他にガンに良いものを知らないかという事

などを中心に電話をしていました。

本当にワラにもすがる思いでした。

何をして良いのか分からないが、何かをしなくてはと言う思いでした。

電話を受けた友人や知人だって、いきなりそんな話しを聞いてもただビックリするだけで何も出来ないと思います。

もし私が逆の立場だったとしてもそうだと思います。

そんな事、自分が一番良く分かっていたのですが何かをしていなくてはいられませんでした。

しかし、この時のこの【行動】が私の人生を大きく変えてくれる事になりました。

藁にもすがる思いで電話をかけまくる:肝臓がん末期闘病記



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