この頃、長女に2人目の子どもが産まれました。

無事に産まれたという連絡を受け、これで私の孫は4人になりました。

私の孫達(2018年8月)

男の子2人、女の子2人、更にその年の10月には末娘も出産を控えていました。

『これは次の正月が楽しみだ。家の中が賑やかになるな。』

妻と楽しく話しをしたことを覚えています。


この頃の私の血液検査はこんな数値でした。

検査項目 数値
GOT 54 (H)
GPT 45 (H)
ALP 465 (H)
γ-GPT 134 (H)
ALB
T-BIL 1.2
BUN 49.8(H)
CRE 1.6(H)
CRP
WBC 6350


『最後』の退院

それから数日後の2005年(平成17年)6月13日、私にも退院の許可が出ました。

娘の出産より若干遅くなったものの、私の体はそれなりに順調でした。

退院の前日、主治医から通院で点滴を受ける事についての説明がありました。

点滴を受ける際には、自分で胆汁の出る量に応じて自分で本数を決め、それを看護師さんに伝えて治療を受けても良いということでした。

私もその方が良いと考え、主治医の考えに素直に頷きました。

そして退院当日、孫の顔が早く見たいこともあり、早々に自宅に帰りました。

産まれたばかりの孫はとても小さくて、本当に可愛く、しかも我が家で孫を抱ける幸せに浸ることが出来ました。

私はそれまでの間、1年強、病院の治療を諦めて自分の直感を信じ、出来る限り体の免疫力を高め続けて末期の肝臓がんと闘って来ました。

闘病中は、脱水症状などから、13~14回もの入退院を繰り返してきました。

しかし、この退院を最後に、私は二度と入院をすることがありませんでした。

胆汁、脱水症状への不安はいつもありました。

『最後』の退院後、胆汁の出る量は、少しずつではありましたが減り始めていました。

主治医から話しがあったように、1日に出た胆汁の量を看護師さんに伝えて、その量によって自分で、「1本」、「2本」、「3本」と点滴の本数を決めていました。

その間も、《このまま胆汁が安定してくれ》という思いと、また、《また一気に出てしまうのではないか》という脱水症状への不安がいつも頭の中にありました。

病室と花:肝臓がん末期闘病記


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