この頃、私の体調は明らかに良くなり始めていました。体調的に余裕が出て来たのか、闘病生活やガンに関する事以外にもいろいろと考える事が出来るようになっていました。
「肝臓がん末期闘病記」の記事一覧(3 / 5ページ目)
9回の入退院も『お父さんはもう死なないと思うよ。』
妻が私にこんな事を言ってくれました。『お父さんはもう、死なないと思うよ。』私はそれを聞いて大きな生きる希望と勇気を持つ事が出来ました。死の淵まで一緒に体験した妻だからこそ言える言葉で、私はこの一言にどれだけ勇気付けられたか分かりません。
娘の結婚式が2ヶ月後と聞く
末娘夫婦は籍は入れていたものの、まだ結婚式は挙げていませんでした。この頃は私がもう肝臓がんで死ぬような事は無いと家族は皆思っていてくれるようになっていた頃で私の体調を考え、2ヶ月後の8月下旬(2004年・平成16年)に挙式の予定を進めている事を聞きました。
余命3ヶ月の宣告から『4ヶ月』、肝臓がんの検査を受ける事になる
2004年(平成16年)7月下旬、肝臓がん末期による余命3ヶ月の宣告を受けてから約4ヶ月が過ぎていました。 当時、私は脱水症状による入退院は繰り返していたものの、肝臓がんの進行は感じられず、自分のガンの進行がどうなってい […]
10円玉大の肝臓がんが『3つ』消えていた!
『以前に撮った笹野さんのCT画像と比べてみますと、右の肝臓にあった3つの10円玉大位の癌腫瘍が、3つともほとんど消えているみたいですね。』主治医に言われました。ガンにブレーキがかかったと思いました。
結局娘の結婚式には出られず
『今行けばまだ結婚式に間に合う。電車に乗って最寄り駅まで行けたとしても結婚式場まで歩けるか?タクシーがあるじゃないか!でも服装は?』それでも行きたい。何としても行きたい。行ってやりたい!とずっと外を眺めながら思っていました。
『オバケ?』体験は本当でした
妻とコーヒーを飲みながら休憩したいると、私達から少し離れたところに座っていた患者さん数人の話しが耳に入ってきました。話しの内容に思い当たるところがあリ、少しの間聞き耳を立てていると、以前私が入院していた個室で体験したあの、『オバケ体験』に関する事でした。
突然の激しい寒気、またもや薬に副作用に苦しむ
会計を済ませ、外の喫煙所で妻が迎えに来るのを待っていた時でした。タバコに火を付けてホッとしたのも束の間、ベンチに座っていた私の足が何故か急にガタガタと震えだしました。すぐにタバコを消し、足に手を当てて震えを止めようとしましたが、震えはひどくなるばかりでした。
リザーバー(太鼓)除去の手術をする
当時、私の体には【リザーバー】というものが埋め込まれていました。リザーバーは、肝臓にあった腫瘍に直接抗がん剤を注入するためのものです。私はもう、抗がん剤治療はしないと決めているので、これを手術で取ってもらいたいと思っていました。
余命3ヶ月から1年、胆汁記録帳を始める
『1年前の今頃は、本当に大変な思いをさせてしまったな。』『そうだよね。1年経ったんだね。もうあんな思いは二度としたくないよ。先生からお父さんが死んでしまう状態だと聞かされてあの時は必死だったけど、でも今思えばお父さん、本当によく助かったと思うよ。』『うん。本当によく助かったと思うよ。』