私は2004年(平成16年)3月3日、主治医の口から『病名は肝臓ガンです。』と告知されたことで、ガンと直接向き合う事が出来たのだと思います。
末期の胃ガンだった兄の場合は、本人へのガンの告知はありませんでした。
兄が亡くなるまで、私達家族は兄に一切悟られないようにと気を遣いました。
兄には、持病の胃潰瘍ということにして、治療をすれば良くなると話すしかありませんでした。
はじめから治療方法が無いのであれば、主治医の口から直接兄に告げて欲しかったと思います。
兄は点滴を受けるだけの日々に、苛立ちを隠せずにいました。
『手術をするのか、これからどんな治療をするのか、聞いてきてくれ。』
ある日、見舞いに行った私はこう言われ、主治医のところに聞きに行った事があります。
すると、主治医は、『弟さんからお兄さんへ、胃ガンだという事を告知して欲しい』と言われてしまいました。
もちろん、今さらそんな事を言える訳がありません。
この主治医に、私は憤りを感じました。
最初の段階で主治医が兄にガンを告知していたら、兄の苛立ちはガンと闘う心構え、闘志に変わっていたかも知れません。
私自身、肝臓ガン末期だと告知されたことで、身辺整理や心の準備、そして闘う心構えなどを持つ事が出来たのですから、何も知らされないまま、ただ【治療】という名目で病院の中に縛られていた兄が不憫でなりません。
医者の発言は大きな影響を与える
医者の発言と言うものは、患者やその家族に大きな影響を与えるものだと思います。
それが、【がんの告知】ともなれば尚更です。
もし、医者から患者本人にガンの告知をしないと、どうなるのでしょう。
医者は患者本人を安心させる意味から、患者本人の前では、楽観的なことを言い、その後、別室に家族を呼び出して悲観的な言葉を告げる事になります。
しかも家族は何とか本人に悟られないようにと、毎日辛い日々を送ることになります。
私がガン闘病中、入退院を繰り返している中でも、家族だけが知らされ、本人には告知されていない場合が多くありました。
ガンの告知については、家族や医療現場でも賛否が分かれるところなのだと思います。
ただ、本人がガン告知を受けている場合と、そうでない場合では、いろいろな面で違いが出てくると私は思います。
兄にしても、出来れば身辺整理をしたかっただろうし、自分なりに思い残した事もたくさんあった事と思います。
しかし実際は、病状が悪化する中、何一つ思いを叶える事は出来ませんでした。
また、私達家族も、もし兄が告知を受けていたなら、兄への接し方も、もっと違うものになっていたのではないかと、今でも悔やむ事があります。
患者本人が告知を受けていれば、家族もまた患者と同じ気持ちになって見守ることが出来るのです。
私は、それが何よりも大切な意味と持つことなのではないかと思います。
また、患者本人も、いろいろな治療方法がある中で、自らが考え、選択が出来るということが、自分の身を守るためにも必要なことだと思います。
ガンの告知について、そして医師への気持ちなど、兄が胃ガンで闘病中に感じた事を闘病記にしました。
ガンを患っている方のご家族に是非読んで頂きたいです。
”