【末期がんはいつ急変してもおかしくない】そんな事を経験してしまう出来事がありました。
私の4人部屋の1つ空いていた窓際のベッドへ新しい患者さんが入って来ました。
70歳前後の方で、奥さんらしいおばあさんが付き添っていました。案内してきた看護師さんは、この2人に病棟内の説明をほとんどしていなかったので、きっと以前にも入院した事があるのだろうと思いました。
しばらくすると、そのおばあさんの話し声が聞こえてきました。
『私は歩くのが大変だから、なかなかお見舞いに来られないけど頑張ってね。』
そう言っておばあさんは帰って行きました。
その後も2回位、おじいさんの身の回りの物を持ってお見舞いに来られたのを覚えています。
お見舞いに来るのに、何度かバスを乗り継いで来ているようでした。
ある日私から話しかけ、時々話す仲になる
このおじいさんは『肺がん』のようでした。
この方も、私と同じように窓から外を眺めている事が良くありました。
それも長い間、外を眺めている事がありました。
当時、私は50代前半だったので、年の差はありましたが、ある日、私から話しかけて見ました。
すると、今は既に子どもさん達はそれぞれ独立して家を出、奥さんと2人で暮らしているとの事でした。
『子ども達は、いつでも来て良いよと言ってはくれるが、なかなかねぇ。』
病気のために、我が家に年老いた奥さんひとり残していることは、本当に心配だろうと身のつまるような思いをしました。
時には楽しい話しをすることもありました。
私の大好きなキノコ採りの話しです。
この方が住んでいる家の近くの山林では、数種類のキノコが採れるそうです。
ワカサギ釣りの話しもしました。
近くの湖で良く取れるそうで、私も以前、兄や兄の友人達とワカサギ釣りをした頃を思い出していました。
退院したら、久しぶりにワカサギ釣りにでも行ってみようかと思うほど、楽しく話しをさせてもらいました。
『最期』は本当に突然でした
その方が病院へ来てから2週間位経ったある日の事でした。
私はいつものように朝4時頃に目が冷め、洗面所で顔を洗ってからいつもの喫煙所へ行き、コーヒーを飲みながらタバコを吸うため病室を出ようとした時でした。
その方が咳き込んでいるのが分かりました。
タンが絡むような咳ではありましたが、それほど急を要するような咳き込み方ではなかったし、もし何かあれば、ナースコールを押すだろうと思い、私は病室を出ました。
私はいつものように喫煙所で時間を過ごし、病室へ戻る途中でした。
当直の看護師さん2人が、患者さんを乗せたベッドを押して行くのと鉢合わせました。
何気なくベッドに寝ている人の顔を見ると、さっき咳き込んでいた患者さんでした。
『どこへ連れていくの?』
私が聞くと看護師さん達は顔を見合わせて返事に困った様子でした。
私はハッと思い、もう一度その方の顔を見てみると、その方はもう亡くなっていました。
私は複雑な気持ちで無言のままその場を離れ、病室に戻りました。
病室に戻ると同室の他2人の患者さんはまだ寝ているようで、その事には気付いていないようでした。
私は何となく病室にいるのが嫌で、また喫煙所に行きました。
末期がんが怖いのは十分に理解していたつもりでしたが、ここまで『急変』するとは・・・。
昨日まであんなに元気だったのに・・・。
おばあさんの事を想う
喫煙所で私はおばあさん(奥さん)の事を考えていました。
今頃、おばあさんは病院から訃報を受けている事だろう・・・。
おばあさんは大丈夫だろうか・・・。
おじいさんは、おばあさんが住んでいる方向をいつも窓越しに眺めていました。
離れていても心は繋がっている・・・、そんな感じのご夫婦でした。
おじいさんを失ったおばあさんの悲しみを考えると、何ともいたたまれない気持ちになりました。
時間を置いて病室に戻ってみると、何事も無かったかのように、その方のベッドは綺麗になっていました。
今でも、あのおばあさんは元気に暮らしているだろうかと、ふと思い出す時があります。
おじいさんが『なかなか行けないよねぇ』と言っていた子ども夫婦のところへ行き、孫達に囲まれて楽しく過ごしている事を願うばかりです。