末期がんの告知をすべきか否かの私の考えです。

末期がんの告知について、『自分だったら告知してほしい』、『自分だったら告知してほしくない』と賛否は分かれると思います。

ちなみに私は先生から『病名は肝臓ガンです。』と言われ、『余命は半年くらいですか?』と聞きましたが、『これから詳しい検査をしないと何とも言えません。』と言われました。

しかし、自分では身体の異変から末期ガンだと思っていました。

告知してもらったことでガンと『向き合う』事が出来た。

私は先生から直接、ガンを告知してもらったことで、《何でガンになってしまったのか?》の反省と、《治るために必要なことは?》を含め、告知からガンと向き合う事が出来、結果、末期がんを克服する事が出来たと思っています。

私は末期がんの告知に【賛成】です。

そんな実体験から私は、末期がんの告知については【賛成】の一人です。

もし仮に家族だけが末期ガンと言う告知を受けていて、私には何も知らされていなければ私の苦い経験、実兄が何も知らされず胃ガンの末期で亡くなってしまったように、ただ病院の治療を受けるだけだったと思います。

ただ、ガンの告知については、本人の性格などもありますから、一概には言えないと思います。

なので本人に一番近い、家族が良く話し合って決める事が大前提となって来ます。

何も知らされなかった実兄

1999年7月、実兄は胃がんで亡くなってしまいました。

当時の主治医から兄へのガンの告知はありませんでした。

私達家族は兄が亡くなるまで、一切悟られないようにと気を使いました。

そんな兄には、持病の胃潰瘍という事で、治療をすれば良くなると話しをしていました。

しかし、治療は一切行われませんでした。現実には胃がんの末期で治療方法が既に無かったからです。

ただ点滴を受けるだけの毎日に兄はイライラしていました。

ある日、兄から『これからどんな治療をするのか、手術はあるのか聞いてきてくれ。』と言われた事がありました。

主治医の無責任さに強い憤りを感じた

主治医とその件について話しをすると主治医から『弟さんからお兄さんへ胃ガンだと言う事を告知して欲しい。』と言われてしまいました。

『今更そんな事、言えるはず無いじゃないか。』

私は主治医の無責任さに強い憤りを感じました。

私は自分が主治医から肝臓ガンの末期だと告知してもらった事によって、身辺整理や心の準備、そしてガンと闘う心構えなどを持つ事が出来ました。

しかし兄は全く告知されなかったので、訳が分からないまま、ただ治療と言う名目だけで病院の中で患者として縛られるだけでした。

がんの告知をしなかった場合

『がんの告知』を患者本人に告げないとどうなるのでしょう。

医者の考えとしては、
患者本人を安心させる意味かも知れませんが医者は本人の前では楽観的なことを言って、その後別室では家族のみが呼び出されて悲観的な事を聞かされます。

しかも家族はそれを本人に気付かれないように毎日辛い日々を送る事になってしまう訳です。

私が入退院を繰り返している中でも家族だけが知らされて本人には告知されていない方が何人もいました。

兄だって、もし癌を告知されていればいろいろ身辺整理や自分なりに思い残した事をやるなど、沢山あったでしょうが日に日に病状の悪化をたどる中で何一つする事は出来なかったと思います。

『がんの告知』について私なりのまとめ

最後に『がんの告知』について私なりの考えをまとめてみました。

『がんの告知』と言うのは家族、そして医療現場でも賛否が分かれる問題かと思います。

その当事者となった一人として思う事は、人ぞれぞれ性格がありますから統一はするべきではないと思いますが、私はガンを告知してもらって良かったと思っています。

そして、兄にもガンの告知をしてもらう方向で話しをするべきだったと思っています。

もし兄もガンの告知を受けていれば、私達家族ももっと兄に対して他の接し方があったのではないかと今でも悔やむ事があります。

患者本人が告知を受けていれば、家族もまた患者と同じバランスの中で治療を受ける事が出来ますし、またこれは本当に大切な意味を持つと思います。

患者自身はいろいろな治療方法がある中で何を選択するかと言う事は自分自身の身体を守るためにとても大切な事だと思います。

がんの告知はすべきか否か:肝臓がん末期闘病記