余命3ヶ月の宣告から、半年が過ぎた頃の事です。

点滴台を押して病棟の廊下を歩いていると、喫煙所に良くタバコを吸いに来ていた年配の女性に会いました。

ほんの数週間前に入院していた時には一緒にタバコを吸って、笑いながら話した事もあったその女性がまるで別人のようになっていました。

もう、ひとりで歩くことが困難なようで、車椅子に乗せられ、看護師さんに付き添われていました。

すれ違う時、目が合いましたが、その目はどことなく淋しそうでした。

良く話していたAさんも別人のように

その女性に会った後、以前の入院で良く話しをしていたAさんの事を思い出しました。
『そういえばAさんはどうしているのだろう。』と、病室の名札を見ながら歩いていると、Aさんの名札を見つけました。

懐かしい気持ちでAさんの病室に入ると、そこには身体を【く】の字にして横たわっているAさんの姿がありました。

Aさんは私とガンの種類は違いましたが、私と同じように胆汁を外に出していて、以前の入院では私より元気そうでした。

私は驚いて何も話をすることが出来ず、病室を出てきてしまいました。

それから数日後、Aさんは個室に移され、しばらくするとAさんの名札が外されていました。

健康な人には病気の人の心はわからない

私はこの2人の出来事で、末期がんの恐ろしさを目の当たりにし、一気に不安でいっぱいになってしまいました。

私のように長い間、入退院を繰り返していると、患者さん御本人や、ご家族の方などいろいろな方々と話しをする機会が多くあります。

今でも、この世を去った多くのがん患者さんの面影が脳裏に残り、目を閉じると、ひとりひとりの思い出がよみがえってきます。

【健康な人には病気の人の心はわからない】

この言葉は、あるがん患者さんから聞いた言葉ですが、私も元末期がん患者の一人としてとても同感出来ます。
今でも亡くなった人の思い出が脳裏によぎります:肝臓がん末期闘病記