その夜、私はベッドの中で、父や兄の事を思い出していました。

肺ガンで亡くなった父

父は、私が入院していた病院で、肺ガンのため、この世を去りました。69歳でした。

父が息を引き取る前、私は当時まだ幼かった子ども達3人を連れて父を見舞いに行きました。

子ども達が一人ずつ、父のベッドのそばに行き、

『じいちゃん』と声をかけていました。

父は言葉さえ交わす事が出来なくなっていましたが、子ども達が声をかける度に、優しい表情で、『うん、うん』と、うなずいていました。


その日、私達が家戻って来たと同時に、父は急変しました。

「すぐに病院へ来るように。」と連絡を受け、私達は再び病院へ向かいました。

しかし、父の最期を看取ることは出来ませんでした。

私は父のベッド脇に立ち、父を見つめていました。

父の手にそっと触れてみましたが、その手はまだ温かかったのを今でもハッキリと覚えています。

父の手に触れたのは、本当に久しぶりのことでした。

私はこの手で育てられたのだなと思うと、胸にこみ上げて来るものがありました。

子どもの頃、父はよく自転車で近所の銭湯に連れて行ってくれました。

自転車の前に私を乗せ、後ろには兄を乗せて・・・。

銭湯から出ると、すぐ隣りにあった店で、いつもジャムパンを買ってもらいました。

私はそのジャムパンが大好きでした。

そんな父との思い出が、いろいろと蘇って来ました。

父の最期を看取ったのはおふくろでした。

胃ガンで亡くなった兄

兄の時は、胃ガンと診断されたその日のうちに、家族はいきなり余命宣告を受けました。

この時はさすがにショックでした。

兄には持病の胃潰瘍ということにし、家族はなんとしても兄に胃ガンであることを悟られないように神経を使いました。

諦めきれない私は、主治医に『先生、何か良い方法はないでしょうか。どうか兄を助けて下さい。』と必死に訴えました。

しかし、主治医は医学書をめくりながら『方法はありません。』の一言で片付けてしまいました。

それでも諦めきれない私は、兄を助けるために必死でガンに効く良いものを探し回り、病院での治療と併用して数種類の健康補助食品を飲ませました。

それらを飲ませることで、少し回復の兆しが見えたものの、すぐに病状は悪化してしまいました。

もう他に探している時間が無いという時、最後に飲んでもらったのは、【御神水】と言われる水でした。

私にすれば、藁にもすがる最後の神頼みでした。


ある日の朝、仕事の打合せに兄の病室へ行くと、兄はおふくろの手を借りながら歯を磨いていました。

兄は、私の顔を見ながら仕事の話しをしていましたが、その目は何か、いつもとは違っていました。

どう表現して良いのかわかりませんが、とにかく、いつもの兄の目ではありませんでした。


打合せが終わり、『じゃあ、また来るから。』と私は病室を出て仕事場へ戻りました。

工場へ戻ると同時に、私の携帯電話が鳴りました。おふくろからでした。

『容態が急変したから、すぐに病院へ来るように。』

私はすぐに病院へ向かいました。


兄の病室へ着くと、兄とおふくろの姿はありませんでした。

そこへ看護師さんが来て、『院長先生からお話しがあります。』とのことで、私はそのまま院長室へ案内されました。

そこで私は兄の死を知らされました。

張り詰めていた糸が、音を立てて切れたような思いがしました。

大好きな兄を失った失望感と挫折感、そして何だか分からない気持ちが入り混じって、頭の中が混乱していました。

兄の時も、最期を看取ったのはおふくろでした。

おふくろにしてみれば、最愛の夫と長男を共に【ガン】で失ってしまった事になります。

その悲しみは、察するにあまりあります。

私も、父と兄の死は大きな悲しみと共に、いつまで経っても忘れる事は出来ません。

これ以上おふくろに悲しい思いはさせたくない

父が肺ガンで亡くなった時、私にはガンに対する知識は何もありませんでした。

病院で治療をすれば、必ず良くなると思っていました。

それだけに父の死はショックでした。


兄の胃ガンの時は、健康補助食品の知識は少し持っていましたが、それでも結果的にはどうにもなりませんでした。

私は父と兄の死をきっかけにその後、ガンに効くと言われるものをいろいろと調べるようになりました。

病院の治療の他に、何か良い物が必ずあるはずだと信じ続けてきた事で、今私が飲んでいる健康補助食品と出会う事が出来たように思います。

そして、医学会においてもごく稀な、末期ガンの克服を成し遂げる事が出来たのだと感じています。

一時はあんなに痩せこけて骨と皮の体になっても、良く頑張ったと自分でも思います。

途中、何度も何度もくじけそうになりましたが、その度に歯を食いしばって立ち直って来ました。

支えてくれる家族、そしておふくろのために、自分自身の直感と信念を貫いて来ました。


父と兄の最期を看取ったおふくろに対して、何としても私だけは生きなければと、いつも自分に言い聞かせて来ました。

もうこれ以上、おふくろに悲しい思いはさせてくありませんでした。

父と兄を失った分、少しでも元気になって、おふくろを安心させたい気持ちが強くありました。

私は兄の事が大好きでした。:肝臓ガン末期闘病記


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