この頃、私の体調は明らかに良くなり始めていました。

体調的に余裕が出て来たのか、闘病生活やガンに関する事以外にもいろいろと考える事が出来るようになっていました。

そんな時、見舞いに来てくれていた妻に、私はまだ修理途中で工場に置き放しになっている娘の車が気になっている事を話しました。

外出許可をもらい、娘の車の修理を仕上げる

妻に娘の車の事を話すと妻は『気持ちは分かるけど、今はまだ無理をしないほうが良いよ。』と言ってくれました。

『これから先、俺はいつどうなるか分からないよ。だから調子が良い今のうちに一日でも早く仕上げてやりたいんだ。』

『そう。お父さんがそこまで言うのなら私も手伝うよ。』

私は早速主治医に外出許可の申請を出しました。

主治医はすぐに許可してくれ、私は外出許可をもらいました。

外出しても1日4本の点滴はある

外出当日も、私の日課である【4本の点滴】を行いました。

普段は1本6時間ペースなのですが、それでは外出出来る時間が無くなってしまうので、主治医の指示で、全体的にペースを早めて行うことになりました。

点滴終了後、看護師さんに点滴の針を抜いてもらいました。

何とも言えない快感のようなものを感じました。

自由になれた気持ちでホッとしました。

自宅到着後、早速修理を始める

妻が車で迎えに来てくれ、自宅に着くと早速、工場のシャッターを開け、娘の車の修理を始めました。

久々の工場、久々の修理音で私自身、ワクワクしていました。

妻もおくふろも入院当初とは違う私の動きに、少しホッとしているように見守ってくれていました。

あっと言う間に午前中が終わり、久しぶりに自宅で昼食。

『美味しい!』と感じました。と同時に幸せな気持ちでした。

その後の作業を続け、夕方4時頃、一旦修理を終えて1時間位休んでから妻に病院まで送ってもらいました。

病院に戻ると看護師さんが『お帰りなさい。』と言ってくれました。

それはそれで嬉しいのですが、病院が我が家のようで少々複雑な気持ちもありました。

そして病室でまた、針を刺され、点滴の続きを受けました。

こんな生活を数日続け、妻にも手伝ってもらいながら何とか修理を終わらせる事が出来ました。

修理の途中では胆汁の容器がとても邪魔になり、イライラしてしまうこともありましたが何とか終わらせる事が出来ました。

『これで娘もきっと喜んでくれるね!』

『そうだな。もういつ取りに来ても大丈夫だよと伝えておいてくれ。』

『退院が出来て、胆汁が安定すれば仕事復帰も出来るかも知れないな。』

『そうなると良いね。でもこれからが大事な時だから無理をしないでね。』

仕上げに洗車をしながら私は達成感と共に、明らかに体調が良くなっている事を実感していました。

余命3ヶ月の宣告をされてからちょうど【3ヶ月】

ちなみにこの時期は、私が肝臓ガンの末期で余命3ヶ月の宣告をされてからちょうど【3ヶ月】が過ぎようとしていた頃でした。

普通(?)ならば、末期ガンですから、病院のベッドの上で寝たきりのような状態になっていてもおかしくないのでしょうが、私はそれどころか、余命宣告された時より、明らかに体調が良くなっていました。

新たな気持が芽生える:肝臓がん末期闘病記


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