ある日、通院での点滴を終え、家で休んでいると末娘夫婦が家に来ました。
末娘夫婦は籍は入れていたものの、まだ結婚式は挙げていませんでした。
この頃は私がもう肝臓がんで死ぬような事は無いと家族は皆思っていてくれるようになっていた頃で私の体調を考え、2ヶ月後の8月下旬(2004年・平成16年)に挙式の予定を進めている事を聞きました。
私はその話しを聞いて、とても嬉しく思うと共に、戸惑いも感じました。
わき腹のチューブと胆汁の容器をどうするか
私の感じた戸惑いは、『わき腹のチューブと胆汁の容器をどうするか』ということでした。
出来ることなら、可愛い娘の結婚式、一緒にバージンロードを歩きたいです。
しかし、当時の私には『わき腹のチューブと胆汁の容器』という、とても厄介な物がありました。
それを一体どうすれば良いのか。
まさか、礼服にショルダーバックを下げて歩く訳にも行きません。
私は妻は娘達にその事を聞いてみました。
その後みんなで話し合い、いろいろなアイデアを出し合った結果、娘が『胆汁の容器を入れる袋』を縫ってくれる事になりました。
私はこの時、本当にとても嬉しく思いました。
そして、末期がん(肝臓がん)を絶対に克服するんだと今まで以上に強く思うようになりました。
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