余命3ヶ月の宣告を受けてからちょうど1年が過ぎました。

『1年前の今頃は、本当に大変な思いをさせてしまったな。』

『そうだよね。1年経ったんだね。もうあんな思いは二度としたくないよ。先生からお父さんが死んでしまう状態だと聞かされてあの時は必死だったけど、でも今思えばお父さん、本当によく助かったと思うよ。』

『うん。本当によく助かったと思うよ。』

しかし、10円玉大のガンが3つ消えたと言っても、胆管を塞いでいる一番やっかいな大きくて厄介なガンはまだ存在している。

ただ、1年経った今、良い方向に進んでいることだけは確かでした。

また胆汁が止まり入院

そんなある日、また胆汁が止まってしまいました。

私達はまた、前回と同じように処置をしてみました。

しかしどうしたことか、今回はなかなか思うように行かず、生食水を注入することまでは出来るのだが、引く動作が出来ません。ピクリとも動きませんでした。

何回繰り返しても引く事が出来ず、これ以上繰り返すと生食水が体内に入りすぎ、また変な『副作用』が出てしまうのではと怖さを感じ、私は断念することにして病院で処置してもらう事にしました。

早速病院に行って主治医に処置をしてもらったのすが、やはり注射器は引く動作が出来ずピクリとも動きません。

『笹野さん、入院して検査してみましょう。検査次第ではチューブの交換が必要になるかも知れません。』

こうしてまた、私は入院する事になってしまいました。

胆汁記録帳をつけ始める

入院の手続きを済ませ、病室にいると看護師さんが胆汁の様子を見に来ました。

『胆汁は止まったままです。もしまた胆汁が出るようになれば、自分で容器を空にします。捨てた量を看護師さんに伝えればいいでしょ?』

『そうしてもらうと私達も助かります。』

この日から病院の票とメモ帳に胆汁の量を毎日書き込むようになりました。

胆汁の出を記録していたメモ帳1:肝臓がん末期闘病記
これが当時使っていた『胆汁記録帳』です。日にちに斜め線が引いてあるのは「今日も一日生きられた!」という意味で自然に付けるようになりました。

胆汁の出を記録していたメモ帳2:肝臓がん末期闘病記
↑お昼の12時から翌日の12時までを【1日】として、日中は大体2時間毎に記録していました。

胆汁の量が不安定な日が続く

2005年(平成17年)3月7日入院初日、胆汁記録帳に【3/7 0】と書き込みました。

胆汁の出を記録していたメモ帳3:肝臓がん末期闘病記

次の日も【3/8 0】

その日の回診は主治医が休みだったので、代わりの先生が診てくれました。

胆汁が止まってしまった事を話すと、先生は看護師さんに何か指示をしました。

看護師さんは回診台の中から何かを取り出して先生に渡しました。

よく見ると今までに見たことも無いような小さな注射器でした。

先生は、その小さな注射器で処置をしてくれました。するとその直後、約2日止まっていた胆汁が流れ出しました。

私は本当に安心しました。

もし、この先生が処置をしてくれなかったら、主治医の言う通り、またチューブの入替えをしなければならなかったのかも知れませんが、もうあの手術は懲りごりでした。

これはちょっと失礼な言い方になってしまうかも知れませんが、先生の医療技術にはかなりの個人差があるということも、改めて思い知るキッカケになりました。

胆汁が出るようになったこの日は【170cc】でした。

胆汁の量が大きく不安定に

その翌日、今度は体の中に溜まっていた胆汁が一気に吐き出されたかのように、恐ろしい量の胆汁が出てきました。

おそらく初めての量だったと思います。

その量、なんと【5,800cc】

6リットル近くの水分を1日で補給するのは、”酒”でも大変です。

胆汁が多く出た事を知った主治医からも『点滴の他にも水分を多めに摂るように。』と言われました。

『水分を多めに』摂り続ける

私はとにかく水分を出来る限り多めに摂るようにしました。

時に、吸収率の高いスポーツドリンクが良いと言われ、飽きるほど飲み続けたりしました。

とにかく脱水症状だけはどうしても避けたいという思いがとても強くありました。

自分の意志とは関係なく出てくる『気まぐれな』胆汁には本当に手を焼いていました。

一度脱水症状になってしまうと、水はおろか、氷さえ口に出来ない状態になってしまうため、私は点滴を受けながら口からも水分を出来る限り多めに摂り続け、胆汁の出と闘っていました。


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