退院許可が出てその日の内に退院
チューブが抜けた翌朝、私は目を覚ますとすぐに、胆汁が漏れていないか脇腹のガーゼに手を当ててみました。胆汁は漏れていませんでした。
その時私は、「やはり胆管が正常に戻ったのだ」と、内心ホッとしました。
午前中の回診の時、主治医が私のところに来ました。
『笹野さん、どうですか。』
『胆汁はしみ出ていないように思います。』
『そうですか。でも、ガーゼを取り替えましょう。』
交換したガーゼを見ても、ほとんどしみ出ていないのが私にもわかりました。
この日から、何も治療することは無くなりました。
退屈しのぎに、家から持ってきたキノコの本などを見ながら、時間を潰すようになっていました。
数日後、主治医が私のところに来ました。
『笹野さん、退屈そうですね。』
『ハイ。』
『体の調子はどうですか。』
『別に変わった事も無いです。』
『もう安定しているようですから、今日退院しても良いですよ。』
私は嬉しさのあまり、『本当に退院しても良いんですか?!』と思わず念を押してしまいました。
『そのかわり、家に帰っても入浴はまだ絶対にダメですよ。一週間後に外来の予約を入れておきますから、その日の診察の結果で判断しましょう。』
『はい、わかりました。先生、長い間本当にいろいろとお世話になりました。』
『本当にいろいろな事がありましたよね。でも、良く頑張りました。』
私は早速、退院の許可が出たことを妻に連絡をしました。
そして、荷物の整理をして病院の駐車場に停めておいた車の中に押し込み、退院の準備をしました。
病室に戻る途中、私が毎日コーヒーを買っていた自販機では、患者さん達が何かを買い、喫煙所では患者さん同士が話しをしながらタバコを吸っていました。
それはいつもの見慣れた光景でした。
ついさっきまで、私もあの場所で過ごしていました。
しかし、明日からはもう来ることの無い場所。
※ちなみに、この病院2007年9月1日から全面禁煙となり、喫煙所はもうありません。
私は、病院を出て家に向かいました。
見慣れた景色がこの日は何となく身近に感じられました。
闘病生活という、今まで自分を苦しめて来たもの全てから解放され、身軽で自由になった自分を実感していました。
また、《私は本当にガンに勝ったのだ》と改めて思いました。
我が家に到着、妻、おふくろ、愛犬にも祝福される
我が家に到着すると、おふくろが庭先にいました。
私が車から降りると、『ああ、良かった。良かったねぇ。』と話しかけて来ました。
私は心の中で、《おふくろひとりを残して死ぬわけにはいかないよ。》と呟いていました。
《何としても生きなければ》と思い続けて来ました。
おふくろの嬉しそうな顔を見て、私は心底ホッとしました。
また、家族の一員である愛犬のハナ子も、私の元気そうな姿を見て、尻尾を振りながらすり寄って来ました。
それは、私が闘病生活を送っていた時とは、ジャレ方が明らかに違っていました。話しは出来ないものの、何かを感じ取っていたのだと思います。
『また前のように散歩に行こうな。』
私はハナ子にそう言って頭をなでてあげました。
妻も私が帰って来た事に気付き、家から出てきました。
身軽になった私の姿を見て、おふくろも妻も、そして愛犬のハナ子でさえ笑っているように見えました。
『本当に良かったね。』と繰り返していた妻は、
『末期ガンで余命宣告を受けた時は、これからどうなってしまうのかと思って、心配で夜も眠れなかったよ。今こうして元気になったお父さんを見ていると、夢のようね。』と、しみじみ話していました。
するとおふくろも、
『そうだよ。私もお前が末期ガンだと知った時、お父さんやお前の兄さんの事を思い出したよ。でも、助かってくれて本当に良かった、良かったよ・・・。』
『とにかく良かった。家に入ろう。』
『今日は、お赤飯を炊くね。』
私も妻も、初めて聞くおふくろの胸の内、とても複雑な思いがしました。
闘病生活が終わった最初の夕食は最高に美味しかった
2005年(平成17年)11月15日、退院の日の夕食前、闘病生活後初めての夕食前は、妻のつくった赤飯をはじめ、ご馳走がところ狭しと並べられていました。
おまけに、缶ビールも2本置いてありました。
ビールは、この年の夏頃から、一口、二口と少しずつではありましたが、飲めるようになっていました。きっと、肝臓が《再生》してきたのでは?と思います。
ビールで乾杯しました。
心の底から喜べる楽しい食卓でした。
途中、トイレに行こうと立ち上がったと同時に、私は無意識に胆汁容器のヒモを探していました。
『お父さん、もう胆汁の容器は無いでしょう。』
それを見ていた妻が言いました。
『そうだな。』
私や妻、そしておふくろの笑い声が家中に響いていました。
《本当に長い闘病生活が終わったのだ》という喜びを噛み締めながら飲んだこの日のビールが、最高に美味しかった事は言うまでもありません。
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