チューブの接合部分を主治医が外して2日経ったのですが、発熱などの体調変化は特に起こりませんでした。
『熱が出ないようですから、これから大元のチューブを抜きましょう。ここで抜きますから、ベッドに横になって下さい。』
『エッ?ここで抜くのですか?』
『ええ。』
それは実にアッサリとした返答でした。
私はてっきり手術室で準備をしてから抜くものと思っていたので、少々不安になってしまいましたが、主治医の指示通り横になりました。
そして私の体の中に入っていた大元のチューブは主治医の手によって、これまたアッサリとアッという間に抜かれました。
その瞬間、私は全てのものから開放され、本当の意味での【自由】を手に入れました。
1年8ヶ月もの長い間、このチューブにはどれだけ悩まされてきたか分かりません。
胆汁が詰まったといっては、病院へ駆け込んだり、そうかと思えば、いきなり大量に出て脱水症状を起こしたりと、振り回され続けてきました。
どんな寒い時でも、シャワーを浴びることしか出来ませんでした。
そんなシャワーでさえも大変な準備で、事後処理のため、妻の手を煩わせなければなりませんでした。
その長い拘束が、一瞬のうちに解かれたのです。
チューブを抜いた後の処置が終わると、主治医と看護師さんが私の顔を見て、
『良かったですね。』
と言って、微笑んでくれました。
ガンの腫瘍が小さくなって胆管が正常に戻り、チューブを抜くことが出来るなど、医学会には前例が無かった事だと思います。
きっと立ち会っていた看護師さんも同じ思いだったのだと思います。
『自由の身』で喫煙所へ
チューブが抜けてから数時間経った頃、私はベッドの上でそっと脇腹に手を当ててみました。
チューブが通っていた穴が塞がるのに数日かかるとの事でした。
『穴が塞がるまでは、胆汁の通り道になっていますから、胆汁が出てきてしまう事もあります。』と言われていました。
しかし、何枚も当ててあるガーゼにしみ出ている様子はありませんでした。
私は1階のいつもの喫煙所へ行こうと、ベッドから立ち上がり、病棟の廊下を歩き始めました。
もう容器もチューブも無い。この時の『自由の身』の感覚を、私は一生忘れないだろうと思います。
見慣れた病院の中を私は晴れ晴れとした気分で歩きました。
私は【ガンとの闘いに勝つことが出来た】という喜びに溢れていました。
いつもの自販機でコーヒーを買い、いつもの喫煙所の場所に座ってタバコを吸い、いつもと同じ外の景色を眺めながら、深い感慨にとらわれていました。
命の恩人、伊藤さんに連絡する
私はタバコを吸い終えると、もうひとり、大事な人に連絡をしました。
私がずっと飲んできた健康補助食品を探してきてくれた友人、いや、命の恩人の伊藤さんです。
チューブが抜けた事を報告すると、伊藤さんも、
『エッ?!本当に?良かったねぇ!』
と、とても喜んでくれました。
正直なところ、伊藤さんに健康食品を紹介してもらった時は、「ガンの進行が少しでも遅くなり、せめて、1、2年、生き延びられたら」という考えもありました。
その間に、仕事やその他、自分の身辺整理が出来ればと思ったからです。
そうすればもし私が死んでも、残された家族が大変な思いをしなくても済むのではないかと考えていました。
しかし、延命どころか、私はガンを克服してしまいました。伊藤さんには感謝という言葉だけでは済まない気持ちがありました。
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