妻があの時『私の肝臓を使って下さい!』と主治医に言った事、当時は全く理解出来ませんでしたが、今となっては良く理解出来ます。

ちょうどその頃、妻は先生から私が肝臓がんの末期症状で余命3ヶ月程度との宣告を受けていました。

妻は私の深刻な病状と余命宣告を聞いて、息子や娘たちに相談し、肝臓移植と言う話しが持ち上がって来たのだろうと思います。

家族の気持ちはとても嬉しいし、とても感謝しています。

しかし、私のために健康体の家族の身体にメスを入れる事なんて、私は決して出来ないし、私にはどうしても家族を肝臓移植のドナーにする事など考えられませんでした。

当時、私は自分のガンの進行状態、余命などは全く知りませんでしたが、とにかく肝臓移植はあり得ないと断りました。

私が肝臓移植の話しを断ると、気まずい空気は部屋の中を流れていました。
主治医は言いました。

「今は医療技術が進歩していますから血液型が同じであれば肝臓の移植は可能だと思います。」

私の家族は皆、血液型は『O型』でした。

主治医のそんな話しを聞くと、息子も娘達も肝臓提供者になると言い出しました。

『みんな、気持ちは嬉しい。気持ちはとても嬉しいけど、何を言っているんだ。そんな事させる訳には行かない。絶対に無理だ。』

「先生、やはり肝臓移植はしなくていいです。」と私は何度も断りました。

肝臓移植の詳しい説明を聞きに行ってみて下さい

私があまりにも頑固に肝臓移植を断っていたので、主治医からこんな提案がありました。

『笹野さん、ここで結論を出さないで、一度奥様と一緒に肝臓移植の経験がある大学病院に行って相談されてみてはいかがですか。私が紹介状を書きますから。』

この日はそこで話しが終わりました。

私はどうすればいいのか分からなくなっていました。

でもどう考えても肝臓提供者を家族で考える事はあり得ませんでした。

先生との話しの後、主治医の部屋を出て、家族と一緒に病室へ戻ったのですがその時何を話したのか、頭の中が混乱していて今でも良く思い出す事が出来ません。

妻の勧めで説明だけ聞きに行く事にする

主治医から肝臓移植専門の先生がいる大学病院へ紹介状は書いてもらったものの、もちろん私の気は進みませんでした。

「先生もこうやって紹介状を書いてくださったのだから、話しだけでも一度聞きに行こうよ。肝臓移植を受ける受けないはその後に考えればいいじゃない。」

結局妻のこの勧めで私は渋々、肝臓移植の説明を聞きに大学病院へ行く事にしました。


⇒次ページ 14:大学病院へ向かうが疲れやすくとても辛い
闘病記年表に戻る