緊急入院から10日程たった午前中の回診の時、主治医から退院の許可が出ました。

私は、その頃には食欲が出ていたので1日も早く自宅に戻って自分なりの食生活をしたかったのでとても嬉しく思いました。

また、この時の入院では『ご主人はおそらくもう助からない』とまで言われていたのにまたもや何とか助かった私を見て妻は私の死が少し遠くになったような気持ちがしていたそうです。

久々のシャワー、自分の身体に愕然

退院し、自宅に戻ると私の楽しみの一つだったシャワーを浴びました。

わき腹のチューブのために、お湯に浸かることは出来ませんが、シャワーだけは処置をすれば浴びる事が出来ました。

服を脱ぎ、久々に見た自分のやせ細った身体に私は愕然としてしまいました。

『俺、だいぶ痩せたなぁ。』

わき腹のチューブのところからお湯が入らないように処置をしてくれていた妻に話しかけました。

妻ももちろん同じように感じていたことと思います。

妻は少し間を開けてから『そうね。でも元気になればまた元通りになるよ。』

そう言ってくれました。私もその事に関してはそれ以上触れず、久々のシャワーを浴び、心も身体もスッキリさせました。

胆汁の出は安定せず

体調が良くなって退院したものの、胆汁の出る量はとても不安定でした。

通常は500ccの容器がいっぱいになるのに4、5時間程度かかるのですが、それが1、2時間という時もありました。

『人間の身体ってこんなにも水分があるんだなぁ。』と単純に感心している自分もいれば、『わき腹にバルブでも取り付けられないのかな。』などと考えていた事もありました。

久々に仕事をするも、やはり身体は疲れやすく辛い

退院して何日か経った頃、私の体調は比較的安定していたので、ずっと気になっていた修理途中の車を何とかやってみようと思い、1階の工場に降りました。

その車は末娘夫婦の車で、私は一番最初に入院する直前に修理をお願いされたのですが、その後私は入退院を繰り返してしまったため、結局2ヶ月以上もそのままになってしまっていました。

久しぶりに工場のシャッターを開けて車に近寄り、修理中だった箇所を覗き込んでみました。

すると、胆汁の容器を入れたショルダーバッグが体の前にズリ寄って来ました。

気になったのでまた背中側に戻しますが、ちょっと動くとまた身体の前に寄って来てしまいました。

私は多少の苛立ちを感じながらも車を覗き込んでいるうち、知らず知らずのうちに車の修理を始めていました。

私の戻りが遅く気になったのか、妻が2階の自宅から降りて来ました。

『お父さん、体調は良さそうだけであまり無理をしないほうが良いよ。今やらなくても大丈夫だよ。』

『ありがとう。でもこの部分だけ終わらせればキリが良いからやっちゃうよ。』

久しぶりの自動車修理:肝臓がん末期闘病記

それを聞いた妻も一緒に手伝い始めました。私は久々の『仕事』に何故かホッとする思いでした。

車の修理が全て終わるまではまだ時間がかかりそうですが、今日のように調子が良い日に少しずつでもやって行けばそう長くはかからずに終らせる事が出来そうだという前向きな気持ちも持つ事が出来ました。

しかし、そうは言っても私は【末期がん患者】です。

その日の作業を終え、工場のシャッターを閉めて2階の自宅へ。

これだけでも疲れてしまいとても辛く感じました。

『元気な頃は駆け上がって行ったのに。』

私は自分が末期がん患者である現実を受け入れながらひとつひとつ出来ることをやっていくのみでした。


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