私はまたもや脱水症状で、2度目の救急車要請をしてしまいました。

娘の車の修理をした翌日、この日は朝から体調が良くありませんでした。

朝食を無理して食べながら、私は前回の緊急入院と同じように『脱水症状』の事が頭の中を駆け巡っていました。

水分は出来る限り多く摂るように心がけていましたが、ここ数日、それ以上に胆汁が出ていた事が気になっていたからでした。

そんな不安を感じながら結局この日は朝食以降食事を摂る事も出来ず、昼食時に頑張って飲んだ味噌汁と、果物などしか摂ることが出来ませんでした。

翌日、足がつり、嘔吐

そして翌日の2004年(平成16年)5月31日。

体調は前日より悪くなっているようでした。

でも枕元には氷水を入れた水筒を置き、いつでも少しずつでも水分を摂るよう意識していました。

朝食はまた味噌汁しか摂ることが出来ませんでした。

食後、ベッドで横になっていると、急に足がつって動けなくなってしまいました。

私は枕元に置いておいた携帯電話で別室にいた妻を呼びました。

万一、声が出せないほどの痛みや苦しさに襲われたときは、一刻も早く妻に知らせることが出来るようにと、携帯電話の着信音を鳴らす事を妻と決めていました。

なので、妻はビックリして私の部屋に飛んできました。

『ごめん。何だか急に足がつって動けないよ。』

妻が足をマッサージしてくれると次第に足のつれがほぐれてきました。

しかし、何もしていないのに数分後にはまた、足がつってしまいました。

そんな事を繰り返していると今度は吐き気に襲われました。

あまりにも強い吐き気で私は耐えきれず吐いてしまいました。

『これらの症状はやはり、前回と同じだ。きっと脱水症状だ。』

私はこれまで出来る限りの【脱水症状対策】をしてきただけに、『これ以上、どうすれば良いのだ?』という複雑な思いで、心が折れる思いがしました。

2度目の救急車要請

『お父さん、早く病院へ行こう。』

妻はそう言いましたが、私は前回と同じで、ちょっとでも動こうとすると吐いてしまいどうすることも出来ません。

しかし横になって動かないでいると大丈夫なので、しばらく様子をみながら横になっていました。

夕方近くになり、様子見で起き上がろうとしたらまた吐いてしまいました。

この時、赤黒い物が混じっていました。

「お母さん、コレ何だろう。」

「もしかしたら吐血かも知れないよ。早く病院に行かなければ。」

「救急車を呼ぼうか?」

「そうしよう。救急車を呼んでくれ!」

こうして2度めの救急車要請となりました。

ちなみにこの時も私は気を使ってしまい、妻に支えられ手すりにしがみつきながら自分で1階まで降りてしまいました。

意識が薄れていく

救急車が到着すると、隊員の方が私の血圧を測り始めました。

しかし前回と同じように、かなり低いようで、なかなか数値が出ず、何度も測り直していました。

その間、別の隊員の方は入院先の病院と連絡を取っているようで救急車は私を乗せてもなかなか動きませんでした。

『もう少しで病院に向かいますから。』

隊員の方のそんな言葉がだんだんと遠くなって行きました。

意識が薄れて行きました。

しかし、この時は完全に意識が無くなる事は無く、遠い意識の中で時間が非常に長く感じられていました。

しばらくすると救急車は動き出しました。

病院へ到着すると待っていた看護師さんと一緒に救急隊員の方々が私を救急治療室へと運びました。

その後、私は完全に意識を失い、その後の事は覚えていません。
2度目の緊急入院:肝臓がん末期闘病記

妻が2度めの【死の宣告】を受ける

この時の緊急入院で妻はまた主治医から【死の宣告】をされていました。

『笹野さん、残念ですが今度はご主人は助からないと思います。会わせたい方がいたら早めにお願いします。』と。

2度めの【死の宣告】でした。

妻にとても申し訳なく思う

私は、この短期間に【2度】も【死の宣告】を妻に聞かせてしまいました。

本当に妻には申し訳なく思っています。

せっかく肝臓移植を調べて提案してくれて妻が肝臓提供者になると言う話まで進んでいたのに私はそれを断り、更にはこんな思いまでさせてしまったからです。

正直、今でもあまり思い出したくない時期の話しですが闘病生活の大変さを少しでも現実的にお伝えするため事実をお伝えしています。


⇒次ページ 38:主治医への不信感が募る
闘病記年表に戻る


■ご意見・ご相談等ございましたら、こちらへお願いします。
入力頂いたメールアドレスへ可能な限り返信させて頂きます。

(入力内容は全てブログには掲載されませんのでご安心下さい。)

※メールでご相談される場合はこちら