この頃の私の体重は、『38キロ』まで減っていました。

少しでも早く、【生きるための食事】をして栄養を摂らなければと焦っていましたが、主治医は食べることだけでなく、飲むことさえ禁止していました。

主治医への不信感

飲食の禁止だけでなく、私は造影剤の入れ過ぎから、主治医に対して不信感を募らせていました。

おまけに、外科部長には『抗がん剤を使用しなければガンは絶対に治りませんよ。』とまで言われてしまいました。

総回診察時、外科部長に言われました。



今、こんな状態で入院しているのは誰のせいなのか・・・

俺は今、がんの進行(悪化)で入院しているのではない・・・

造影剤の入れ過ぎによる副作用で苦しんでいるのだ・・・

お前たち、先生が悪いのではないか?バカヤロー!


口には出さないまでも、私は心の中で叫びたい気持ちでいっぱいでした。その位、先生への不信感を募らせていました。

点滴のみで生きていた私の身体は・・・

入院から1週間、私は毎日4本の点滴(500cc/本)をしていました。

針は2日位で取り替えてくれていました。

その度に腕の違う場所へ指しますので、私の両腕は点滴の針で、あざの様な跡が点々としていました。

38キロしかないヒョロヒョロの人間の腕に点々としたあざのような跡、わき腹から出ているチューブ、普通の人が当時の私を見たら、到底助かるような人間には見えなかっただろうと思います。

私自身ですら、鏡に映る自分にそのような気持ちを持っていましたから。

やっと食事の許可が出る

緊急入院してから1週間から10日程経った頃だったと思います。

やっと主治医から食事の許可が出ました。

しかし、前回の食事の出方を考えると、また『3分粥』からのスタートだと思い、私は早速妻に連絡をして、その翌日にでも好物を料理して持ってきてもらえるようにお願いをしました。

一刻も早く、【体に必要な栄養】を摂取する必要があると自分で判断したからです。
私は、この大変な時期を自分の考えで乗り越える決心をしていました。

そのためには、妻の料理を食べる事は主治医には内緒で隠れて食べるようになってしまいますが、これも自分自身の身体と命を守るためです。

その結果、食事の許可が出てから1週間後、私の体重は2キロ増えて、【40キロ】になっていました。

それでもガリガリには代わりありませんが、私はとても嬉しく思いました。

懸念している肝臓がんの進行(悪化)も特に思い当たる事はありませんでした。

私は隠れて妻に作ってもらっている『栄養ある食事』と『健康食品』の【自分なりの代替療法】が上手く行っていると感じていました。

健康食品の保管方法を考える

そしてこの頃、その『健康食品』の保管方法についても新たに思いつきました。

私が飲んでいた健康食品は要冷蔵の液体のため、保管方法にはいつも苦労していました。

それまでは妻にクーラーボックスに入れて持ってきてもらい、その中で保存していました。しかし、長時間の保管にはクーラーボックスでは無理がありました。

別の容器に入れ替えて談話室の冷蔵庫に

そんな矢先、談話室に置いてある冷蔵庫を開けている人にふと気付きました。

名前を書いた袋の中にジュースなどの飲み物を入れて、冷蔵庫に入れているのか見えました。

私は『これだ!』と思いました。

ただ、その健康食品をそのまま入れておくのはちょっと抵抗を感じたため、妻にお願いして、別の容器に入れ替えてから冷蔵庫に入れるようにしました。

こうして、私の懸念材料の一つだった『健康食品の病院での保存(保管)方法』は解決しました。

自分で考えて行動する決心をしました:肝臓がん末期闘病記


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