この頃、体調はあまり安定しなくて優れない日が多く、一時期はトイレに行く気力すら無く、トイレに行きたくなったらナースコールを押して尿瓶で用を足していました。
これほどまでに体力も気力も無かった事は、後にも先にもこの時期だけだったと思います。
いつもなら、2、3日もすれば元気になって、タバコを吸いに行けるほど回復するのに、この時は本当になかなか体調が回復しませんでした。
そうなるとどうしても【もしかしたら・・・】と悪い方に考えてしまい、またその事が更に体調回復の妨げになっていたように思います。
一般病室の窓側へ、久しぶりの開放感
救急処置室に『入院』してから数日後、やっと一般病室のベッドが空いたとの事で移動する事が出来ました。
私の体調は良くなかったため、この時はベッドに寝たまま運ばれました。
この時のベッドは【窓側】。
暗くて慌ただしい救急処置室とは違い、久しぶりの開放感を味わいました。
窓からはいつもと同じみかぼ山が見えていました。
久しぶりの開放感で、大きな気分転換になりました。
この時の入院は結局、【約3ヶ月】にもなり、私の闘病生活の中で1回の入院期間としては最長になってしまいました。
しかもこの、【約3ヶ月】の入院は、肝臓がんの治療というよりは、胆汁に関する治療が主です。
胆汁には本当に悩まされていました。
多くの看護師さんと顔見知りに
これだけ何度も入院していると、この病棟の看護師さんとはほとんど顔見知りになっていました。
タバコを吸いにいつものように点滴台を押して病棟の廊下を歩いていると、良く話しをする看護師さんに会いました。
『笹野さん、大丈夫?』その看護師さんは心配そうな顔で声をかけてくれました。
そしてこんな事も。
『元気になってくれて本当に良かったです。まだ、とても調子が悪そうだった時、笹野さんがトイレに行く姿を見たのだけれど、可哀想で声をかける事が出来なかったんですよ。』と。
『心配してくれてありがとう。また薬(生食水)の副作用で入院することになってしまったんだ。本当にエライ目にあってしまったよ。』
『そうなんだぁ。とにかく無理をしないでね。』
『またお世話になります。いつものところへ行ってきます。』
この言葉だけで、看護師さん達は分かってくれるようになっていました。
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