バルーン手術検査以来、入退院を繰り返すことになってしまい、病状も肝臓がんの悪化というよりは、胆汁の不安定による脱水症状が主な原因でした。
「私の一番大きな肝臓がんは、今どうなっているのか?」
戸惑いと苛立ちを感じていました。
私は退院しても日曜日以外は病院へ行って点滴を受けなければなりませんでした。
脱水症状を防ぐためで、体に入れる点滴は胆汁の出る量に応じて決められました。
平均500ccが2本、不安定だと3本となりました。
3本入れたとしても1,500cc、しかし退院してから出る胆汁はとても不安定で、3,500cc~4,000ccと多くなっていました。
こうなると、口から入れる水分を更に多くしなければならなく、私にとってこれも大きなストレスになっていました。
味覚の変化で食事も苦労する
胆汁の不安定により脱水症状ばかりに気を取られているわけにもいきません。
私は末期がん患者です。
末期がんと闘う体力を付けなければ行けないはずの私ですが、味覚の変化は当時、相当悪くなっていました。
退院して家にいるため、妻が私の好きな料理を作ってくれるのですが、何を食べても美味しく感じられませんでした。
食べる気もしませんでした。
『食べなければガンに勝てないよ。』妻はいつも心配してくれました。
私は妻と一緒に買い物に行き、今食べられそうな物を探しますが、手にとるのは何故か、甘いものが多くありました。
妻と一緒に外食にも行ってみました。
最初に足を運んだのは回転寿司。
味覚の変化の中でも唯一、寿司は食べることが出来ました。
なので、その後も回転寿司には良く足を運びました。今も思い出しますが、寿司を食べた後に注文する茶碗蒸しは特に美味しく感じられた事を覚えています。
私の食生活が大きく変わってしまったのはやはり、【ガンのせい】なのか、それとも【薬のせい】だったのだろうか・・・。
胆汁が止まり病院へ。また入院
4月の中旬、いつものように病院での点滴を終えて家で休んでいました。
胆汁の処理を済ませてから1、2時間経っていた頃でした。
私はふと、どのくらい胆汁が出ているかと思い、容器を確認すると全く溜まっていません。
また胆汁が止まってしまいました。
私は妻を呼んで処置を試みました。
しかし、以前上手く行かなかった時のように、この時の処置も生食液は身体の中に入るのですが、注射器を引き戻すことが出来ません。
夕方5時を過ぎていました。
妻は主治医が帰る前にと、急いで病院に電話を入れました。
幸いなことに、病院にはまだ主治医がいるのと事だったので、私は妻が運転する車に乗り、急いで病院へ向かいました。
病院へ着くと看護師さんの案内で救急処置室へ。しばらくして主治医が来てくれました。
主治医が処置すると胆汁が流れ出しました。しかしこの時はすぐにまた止まってしまいました。
『笹野さん、今日はこのまま入院してもらって様子を見ましょう。』
なぜ、こう何回も胆汁が止まってしまうのか。胆汁と一緒に出てくる白いカスのようなものが原因なのか。主治医に聞いても、それを『何かの不順物のカス』と言うだけでそれ以上の説明はありませんでした。
体内のチューブ以外全て取り替えるがまた胆汁がとても不安定に
その後、入院から3日経っても処置後は流れるが、しばらくするとまた止まってしまうという事が続いていました。
『体内に入っているチューブ以外、全て新しいものに取り替えましょう。』
主治医の指示により全部交換する事になりました。
しかし今度は一気に胆汁が流れ出しました。1日に4,000cc以上出る日が5日間も続きました。
夜間の胆汁容器を大きなものにする
この間、私は就寝前には必ず容器を空にして、看護師さんには『○時頃、容器が一杯になるとおもいますから処置をお願いします。』と伝えてから寝ていました。
しかし、胆汁があまりに不安定だったので心配になり、夜中に目を覚ましてしまう事が良くありました。
時には私が思っていた時間よりも早く容器が一杯になってしまい、溢れてしまったことも何回かありました。
なので、自宅では妻が考えた容量の多い特別な容器を使っていた事を看護師さんに話し、病院でも何か別の容器が無いか聞いてみました。
すると看護師さんはいくつかそれらしいものを持ってきてくれ、私はその中の1つに手を加えて胆汁用の容器にしました。
看護師さんもとても喜んでくれました。
夜勤の看護師さんは人数も少なく、重症な患者さんも多かったため、本当に大変な思いをしている事を私は知っていました。
胆汁の容器を一晩何もしないでもつようにするという小さな事だけでも、そんな大変な看護師さんの手を煩わせる時間を減らすことが出来ます。
また、私自身も胆汁の不安定を気にすること無く安心して眠ることが出来るようになりました。
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