健康を保つ上で、食事はとても大切だと私は思います。

この頃の私の悩みは大切な食事が美味しく感じられないことでした。味覚の変化の症状だけは全く良くなる気配がありませんでした。

5月の連休が間近に迫っていました。
この頃の私の血液検査はこのような数値でした。

検査項目 数値
GOT 132 (H)
GPT 106 (H)
ALP 644 (H)
γ-GPT 332 (H)
ALB 4.3
T-BIL 1.5 (H)
BUN 76.4 (H)
CRE 3.2 (H)
Na 124 (H)
K 6.3 (H)
CRP 3.0 (H)
WBC 19860 (H)

連休中には子ども達も、孫を連れて我が家に遊びに来る予定になっている。

私はその頃、テレビでたまたま写っていたイチゴ狩りに目が留まり、退院したらイチゴ狩りに連れて行ってやろうと考えていました。

私は5月の連休に照準を合わせ、退院出来るように体調を整えていました。

ただ味覚の変化だけはどうにも良くなる気配がありませんでした。

普通でも病院食は美味しくないのに、更に輪をかけたように不味く感じるようになっていました。

私は妻に頼んで、醤油やソース、ケチャップなど、いろいろな調味料を持ってきてもらっていました。

それらの調味料を駆使してなんとか食べる努力をしていましたが、食事を完食するには程遠い状態でした。

看護師さんへの食事の報告もこの頃はいつも『半分くらい』と答えていました。

食べる事が出来た『甘い物』を食べる

味覚の変化で思うように食事が進まなくなってしまった私ですが、1階の売店には毎日のように通っていました。

味覚の変化で何故か『甘党』になった私は、

  1. チョコレート
  2. かりんとう
  3. せんべい

などの甘いものを好んで食べていました。

特にこの頃のお気に入りは【ぶどうパン】でした。

味覚の変化でぶどうパンが好物になっていました:肝臓がん末期闘病記

ぶどうパンは数に限りがあってすぐに売り切れてしまうので、私はいつも売店の方に特別に予約させてもらっていました。

こういう場合、顔が利くのはとてもありがたく思いました。

食べられるものは何でも食べる。人間は《食べてナンボ》だ!

私と同じ病気の人や、その家族の方達の中には、食事、食べ物に気を使って病院食以外は食べない。食べてはいけないと考えている方は多かったように思います。

しかし私は《生きるために食べられるものは何でも食べる》というスタンスで闘病生活を送っていました。

思うに人間は《食べてナンボ》だと思います。

食べ物を口から食べることで、体力がつき、元気な身体になっていくのだと思います。

しかも私の場合は末期の肝臓がん患者です。

食べなければ体力が無くなり、免疫力が下がってガンがまた、勢い付いてくる危険があります。

味覚が変わって病院食が食べられないからと言って、そのまま自分を『放置』することなど私には到底出来ませんでした。

また、私はそれで納得していたので、それが良いとか悪いとか私には関係のない事でした。

そんな状態でしたので、私の体重は増え始めていました。

40キロ前後をウロウロしていたのが一気に、『44キロ』にまで増えていました。

しかし、この時の食生活を元気な時にしていたら、あっという間に『メタボリック』になっていたことだろうと思います。


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