7月も中旬が過ぎました。

いつものように、病院で点滴を受けていると主治医が診察の合間をぬって様子を見に来てくれました。

『笹野さん、お久しぶりです。具合はどうですか。』

『今のところ、胆汁の出る量はなんとか安定しているようです。』

『そうですか。それは良かった。今までは退院しても、すぐにまた入院をしなければならない状態になってしまったけれど、今回は大丈夫そうですね。今までに無い新記録ですね。看護師さん達も皆、笹野さんを心配していますよ。』

私自身も《今までに無い新記録》を嬉しく思っていました。

点滴を【毎日】から【一日おき】に

ジメジメとした長い梅雨がようやく終わりました。

一転して、夏の日差しが照りつける日が続きました。

しかし私は、病気のせいか、寒さはかなり体にこたえましたが、暑さは大丈夫で、ほとんど汗をかくこともありませんでした。

それより何より、病院内のエアコンが私にはキツく感じられました。

また、胆汁は安定していましたが、いつ起こるかわからない脱水症状対策として、点滴中は持参したスポーツドリンクを飲み、点滴が終わるといつもの自販機で、氷付きのアイスコーヒーか、ソーダ水を飲むことにしていました。

味覚の変化のためか、この時期はこの、ソーダ水を好んで良く飲んでいました。

味覚が戻った現在はともかく、当時はソーダ水がサッパリとして、とても美味しく感じられました。

胆汁は多いときでも【1,600cc】程度で安定し、通院で受ける点滴も【1日1本(500cc)】と、少なくなっていました。

「このまま安定するようなら、1日おきでも良いかも知れない」と考え、試しに1日おきで点滴を受けてみる事にしました。

味覚は戻らないが食べれるものを良く食べていました

胆汁は安定しても味覚は相変わらずで、何を食べても美味しく感じられない状態でした。

とにかく、栄養を摂取しやすいおかずを主食代わりに心がけ、少しずつでもなんでも食べるように心がけていました。

病院に入院した時も、おかゆを食べてしまうと、他のおかずを食べられなくなってしまったので、おかゆは少なめにして、意識しておかずを食べるようにしていました。

時間に余裕が出来た分、妻と【食探し】へ

点滴が1日おきになると、時間的にかなり余裕が出来るようになりました。

妻が買い物に行くときは、私も一緒に出かけて【食探し】をしました。

味覚が変わってしまった私が、目で見て食べられるものを探しました。

今でも良く覚えていますが、私が外出や外泊許可を取った時、妻と一緒に回転寿司に立ち寄った事がありました。

マグロ、タコ、イカ、エビなどの寿司は普通に美味しく食べられたので、その後は良く回転寿司に行っていました。いつも食後に注文する茶碗蒸しも私はとても美味しく感じられました。

その他に食べられたものは、

  • ヒレカツ定食
  • 牛丼
  • 焼き肉のカルビ

などがあり、当時はいろいろなお店へ行って食べていました。

その点、今はショッピングセンターの惣菜コーナーが充実しているのでとても便利だと思います。

また、当時はショッピングセンター(モール)でよく、バック売り場で胆汁の容器を入れるのに、より使いやすいショルダーバッグも見ていました。
胆汁を入れるケース
末期がんを克服した今でも妻とは良く買い物に出かけています。

遂に点滴を受けなくなる

そんな生活を送っていたので体重も確実に増えて【50キロ】にまでなっていました。

骨と皮だけの状態だったのが、日に日に筋肉も付いてきたように見えました。

鏡を見ても、痩せ衰えていた時とは違い、元気な頃に近づいていました。

またそんな私の状態は、私自身に限らず、妻や子ども達も感じてくれていました。

点滴を1日おきにしてしばらく経っても胆汁や体調に変化は無かったので、今度は2日おきに変えてみました。

しかし、その後も胆汁は減り続け体調は安定して、体調が悪くなることもありませんでした。

そして、9月27日の点滴を最後に、外来で点滴を受けることは無くなりました。

体重が増え、明らかに体型が変わって来ました:肝臓がん末期闘病記


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