この頃、私は【鳥目】と極度の【寒気】に悩まされていました。
『がんになると、こんなところまで身体の変化が起きてしまうのだろうか・・・。』と良く思いました。
鳥目で病院の廊下で迷ってしまう
入院中の事、私は夜中に目を覚まし、トイレに行こうと点滴台を押し、立ち上がりました。
しかし、鳥目に悩まされていた私は病室の出入り口すらすぐには分からない状態でした。
通常であれば、いくら消灯後と言っても、歩くのに不自由を感じるほどの暗さではありません。
しかし、この頃の私には暗すぎて見えませんでした。
ナースコールで看護師さんを呼びました。
看護師さんには『尿瓶(シビン)を用意しますよ。』とまで言われましたが、私は看護師さんに出入り口とトイレの方向だけを聞き、正に『手探りで』トイレに行きました。
帰りは『遭難状態』に
やっとの思いでトイレにたどり着き、用を済ませ今度は帰り道。
私の『手探り』にも限界が来て、すっかり迷ってしまいました。
ちょっと大げさかも知れませんがまるで遭難してしまったかのように、右も左も前も後ろも分からなくなってしまいました。
しばらく『遭難状態』でいると、看護師さんが私に気付いて話しかけてくれました。
その時は看護師さんに案内されて自分のベッドに戻れた事を覚えています。
極度の寒気で私だけ『季節が真冬』
寒気にもかなり悩まされた記憶があります。
時は7月下旬、夏休みに入ったばかりの頃でした。
梅雨も開け、毎日暑い日が続いていました。
脱水症状による2度目の緊急入院から私の体調は快方に向かい、主治医から退院の許可が出ました。
退院出来るのはとても嬉しいことなのですが、私はこの頃、【極度の寒気】に悩まされていて、我が家に帰っても迷惑をかけてしまうのではないかという不安がありました。
我が家に変えると案の定、私は寒くて寒くて、ストーブを出してもらい、火を入れた程でした。
もちろん、一緒に暮らしている妻は『半袖』です。
梅雨も明けた7月下旬だというのに、窓から入るそよ風でさえ、私には異常なほどの寒さを感じました。
そんな状態でしたので、『がんだから。』という事は理解していても、この極度の寒気に関しては、自分の異常さに大きな不安も感じていました。
- ⇒次ページ 43:9回の入退院も『お父さんはもう死なないと思うよ。』
- 闘病記年表に戻る