腫瘍マーカーの検査結果が出るまでに1週間、私は毎日工場の片付けや整理をして過ごしていました。
そんな中、コーヒーを飲みながら一休みしているところへ友人から電話がありました。
友人は、何か困った様子でしたが、まず私の体調を気遣ってくれました。
『車の修理を、どうしても頼みたいんだけど・・・。』と、申し訳なさそうな口調で言いました。
しかも急ぎの修理で、2日後に仕上げてもらいたいとのこと。
今の私の体では無理かもしれないと思い、断ろうと思いましたが、私に電話をかけて来るくらいだから、余程困ってのことなのだろうと思い直し、引き受けることにしました。
引き受けてはみたものの、2日間という短い時間の中で、まだ病み上がりの私の体では本当に出来るだろうかと、大きな不安に襲われてしまいました。
依頼された修理車は翌日の朝、持ってきてくれることになっています。私はコツコツと工場の整理をしておいて良かったと思いました。
修理に必要な道具や材料なども、すぐに使えるようにしてありました。
実に約2年ぶりの仕事です。
技術的には自信がありましたが、体力的な不安はやはり残りました。
妻も、『とにかく無理だけはしないでね。』と私の体を心配しましたが、修理を引き受けたことに対して反対はしませんでした。
無事に修理を終わらせる事が出来ました
そして翌日。約束の時間が過ぎても、修理車が来ません。
しばらくすると友人から電話で、『車のオプション部品の取り付けに手間取ってしまった。』とのこと。
昼頃になって、ようやく友人が修理車に乗ってやって来ました。
その車を見て、私はビックリしてしまいました。その車はかなりの高級車だったからです。
2年間というブランクに対する不安と、高級車というプレッシャーが重くのしかかって来ました。
しかも、翌日の午後3時半までに仕上げなくてはなりません。
ともかく、急いで修理を始めることにしました。
闘病中は、この日が来ることをひたすら信じて来ました。
私にも家族にも、様々な事がありましたが、皆で力を合わせて何とかここまで乗り越えて来ることが出来ました。
今生きて仕事に復帰出来ることへの感謝と喜びの気持ちが、私の不安を多少なりとも軽減してくれたのではないかと思います。
久し振りに手にする道具に懐かしさを覚えながら作業を開始。
静かだった工場内に修理の音が響きました。
その日の夕方、妻が心配して私の様子と修理の進み具合を見に来ました。
『何か手伝えることは無い?』
『大丈夫だよ。この作業が終われば、今日は終わりにして家に帰るから。』
結局この日は夜の8時半までかかってしまいました。
家に帰ってから妻に、『明日は予定通り、車を納められるよ。』
『友人の方もきっと喜ぶね。』
妻もそれを聞いて安心したようでした。
翌朝は、塗装の準備をしました。
これが仕上げの作業となるため、失敗は許されません。
この作業で、出来の良し悪しがほぼ決まってしまうと言っても過言ではありません。
それほど重要な作業なのです。
スプレーガンを持ち、塗料を入れて吹き付けます。
2年ぶりの作業でしたが、自然に体が反応してくれました。
これも、長年の慣れによるものなのでしょうか。
そして、作業は無事に終わりました。
私はコーヒーを飲みながら、修理を終えた車を見て胸をなでおろしました。
約束の時間に車を引き取りに来た友人は、仕上がった車を見て嬉しそうに笑いました。
私と友人はコーヒーを飲みながら、久々にゆっくりと会話を楽しみました。
こうして無事に仕事復帰を果たせたことに、私は内心満足していました。
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