受付で入院手続きを済ませると、早速、胆汁のチューブが要らなくなるか否かのCT検査が待っていました。

今回はいつもと同じ病棟だと思っていましたが、何故か最初に入院した時の病棟でした。

ナースステーションに行くと、あの当時とは別人になっている私の姿に、看護師さんは驚いていました。

そこには、【もうこの世にはいないと思っていた】というような表情が見てとれました。

検査はすぐに終わりました。結果は午後、主治医から説明

病室に案内されると、私は早速パジャマに着替えてCT検査を待ちました。

とにかく一分一秒でも早く結果が知りたくてたまりませんでした。

家では、私の検査結果を今か今かと待っている妻がいます。

はやる気持ちを抑えながら、私はCT台に乗りました。

造影剤の注射の後、検査が始まり、すぐに終了しました。

気になる検査結果は午後、主治医から説明があるとの事でした。

『結論から言うと、チューブは抜けると思います。』

そして午後、病棟のある部屋で主治医は、私のCT画像をバシッとはめました。

『胆管を塞いでいた中央部の大きなガンの腫瘍は、これを見る限り、限りなく小さくなっています。今後、このまま消えてしまうかも知れません。』

その後、不思議そうに首を傾げ、

『今後、また大きくなる可能性もあるかも知れません。』

『結論から言うと、チューブは抜けると思います。まず、チューブの接合部分を外し2、3日様子を見て、熱など出なければチューブを抜きましょう。』

『これは、医学会においても例がありません。』

更に主治医はCT画像を見ながら言いました。

『これは、医学会においても例がありません。』

『以上です。本当に良かったですね。』と。

主治医の説明が終わると、私は部屋を出て妻に連絡し、主治医の言葉を伝えました。

『本当に良かったね。チューブが無事に取れて退院したら、お祝いに赤飯を炊いて待っているからね。』

妻は我がことのように喜んでくれました。

病室に戻った私は、前回CT検査を受けた時の事を思い出していました。

『肝臓の右側にあった10円玉大のガンの腫瘍は消えていますが、胆管を塞いでいる腫瘍は大きくなってもいないし、小さくなってもいません。』

主治医にこう言われた時、私と妻は、肝臓の右側の10円玉大のガンが消えたのだから、このまま健康補助食品を飲み続ければ、胆管を塞いでいる大きなガンも必ず消えるはずだ、と信じてやってきました。

そうやって妻と共に頑張ってきた結果が、今日につながって本当に良かったと思いました。

胆汁の容器が無くなり、『元』の自分の姿に

チューブは説明された通り、接続している部分を外して、2、3日、様子を見る事になりました。

接合部分を外した数時間後、いつもの喫煙場所に行こうとベッドから起き上がった瞬間、私の手は無意識のうちに胆汁の容器のヒモを探していました。

胆汁を入れるケース

「そうだ、もう容器は要らないんだ・・・。」長い間に、身に付いてしまった動作でした。

私は病棟の廊下を歩き始めました。

いつもなら、私の手には胆汁の容器のヒモがありましたが、今はありません。

こんなにも身軽なものかと感じながらエレベーターに乗りました。

エレベーターの中の鏡に映った自分の姿を見る。

もう痩せ衰えてはいない。

胆汁容器の束縛からやっと開放されたという実感が、改めて湧いて来ました。

それはまるで夢でも見ているかのような感覚でした。

【命の分かれ目】を感じる

1階に降りて、いつもの自販機でコーヒーを買い、いつもの場所に座りました。

病院での休憩所

タバコを吸いながら病院の前を行き交う車を見て、どれほど羨ましく思ったことか。

あの日ほど、健康のありがたさが身にしみた事はありませんでした。

人の自由を羨ましく思う気持ちは、病気になって初めて経験する事だと思う。

喫煙所で他の患者さん達を見渡すと、私の知っている人はもう一人もいませんでした。

友人の伊藤さんが探してくれた2種類の健康補助食品を飲んだ事が、私自身の命の分かれ目だったとつくづく思いました。

友人であり命の恩人の伊藤さん:肝臓がん末期闘病記

友人の伊藤さんです。私の命の恩人です。



⇒次ページ 77:ガンを克服、ガンに勝って『自由の身』に
闘病記年表に戻る